近くの市民公園は樹木が生い茂って、春や初夏はきれいな緑を見ることができる。犬を散歩させる人、通勤通学をする人、ウォーキングする人など、多くの人に親しまれている。
4~5年前かな、そのふるさと公園の一角に花壇らしいものができた。そのうち、春にはチューリップ、夏にはひまわりなど四季にあわせてたくさんのお花が咲き乱れるようになった。
当時の市議会議員の方がこれって大変なのよとこぼすようになった。お花を植えているのはまったくの善意のボランティア、けれど、植えているところは公園という公共の場なので、「個人の庭ではないのに勝手に植えるなんて」というクレームがたくさん寄せてくるというのだ。
そして、その花壇は今、どうなったか?
ほったらかしになっている。
聞いた話では、お花を植えていた方が、あれこれいろいろ言われるので、機嫌を悪くして、「俺はもう知らん」とほうりなげたというのだ。(確かな話は確認していないが・・・)
ほったらかしの結果、当然のように、雑草が生い茂る。そんな中にも、ぼつぼつと、生命力の強い数十本のチューリップが今なお、花を咲かしている。
けれど、この結末はお花を植えた方も、そして、クレームを寄せた方もどちらも望むものではない。
近くに、やはりボランティアで溝の掃除をしたり、通学路の斜面にお花を植えている方がいらっしゃる。先日、散歩の途中でお話をした。大きな溝にはいって、堆積している土を取り除きながら、おっしゃる。
「いやあ、僕らはこんな土がたまっていたら、汚いと思うのだけど、ここは公共の場なので、個人が勝手に手をつけてはいけないとクレームがくるんですよ。あそこの斜面の花も植えていたら、勝手に植えるなと文句言われました。だから市役所に伝えることにしました。そしたら、あの花のそばに「花と緑のボランティア」という断りをつくってくれたんです」指さす先に 小さなお知らせ板が見えた。
善意が善意として伝わらないことはよくある。
この方のように、筋道をたどって、解決の方策を探すことが必要なんだろう。
せっかくの善意が、荒れ放題の花壇に終わってしまっては何の意味もない。


