知の講座「市内最大の前方後円墳 鰭ヶ崎三本松古墳に迫る」が生涯学習センターで開かれた。
平井・鰭ヶ崎地区の区画整理事業に伴って発掘調査が行われている市内最大の前方後円墳である。なんと10:30から16:30 の長丁場(実際にはさらに30分もオーバーした)
申し込んだけど、断わられたという人も私のまわりにいた。
こういう貴重な講座は生涯学習センターの多目的ホールぐらいの広さが必要では?
古墳をレーザー探査したら、石室があるらしいことがわかったらしい。
↓は三本松古墳のレーザー探査の様子。
↓は三本松ではないが、レーザー探査をわかりやすく撮った写真
毎日毎日が新しい発見がある、と聞くが、「盗掘の可能性が十分ある」という声も・・・
↓は古墳の上にあった石碑が取り除かれる様子。
碑に何が書かれているのか?
「鰭ヶ崎村の丘の上に塚がある。天明4年(1784年)の飢饉の際に餓死する人たちがあった。そこで、人々は塚には財宝があるに違いない、といって発掘しようとした。
鰭ヶ崎村の名主、渡部充房とその子 寅は、「財宝があるかどうかはわからないが、他人の財宝をとるのは盗みである。人間のすることではない」といって、私財を投じて人々の命を救った。その後、渡辺家の暮らし向きはよくなった。孫の睦も名主になった。
塚の後ろには窟があり、白い狐を見たものがいたが、そのわけを知らない人が多いので睦は碑を建てることとした。
この塚は霊験あらたかなのは、神様の思し召しであり、財を投げて民を賑わし、白骨を収めるというようなことは、もとより政治の王道である。
親子三代にわたり、霊験のある塚を盗掘から守る行為は仁と言うべきである。渡辺氏が仁と義によって人々を窮地からすくいさらに神を大切にした行為は近隣に大いに益をmたらしたものである。」
この石碑は発掘の間、他所に保管されている。



