翻訳、英語の先生をやった。コンピューター系の翻訳が多かった。職業が翻訳というと、聞こえはいいが、正直、翻訳だけで食べていける人はほとんどいないだろう。それが私の実感。当時を振り返れば「赤貧洗うが如し」という言葉が頭に浮かぶ。好きだからやっていた、のである。
売れない社員教育用の英語本を出版したとき、元上司の黒木さんが推薦の言葉を書いてやろうと言ってくださった。彼にとっては、部下は飛び出した後も子どものように心配するものらしい。以下が黒木さんの推薦文。
「英語を使う外国部という部署に13年半いたが、いまだに英語にはなじめないで困っている。それも難しい論文を読むということではなく、日常の手近な会話で困るのである。
楠山さんは、その私の外国部時代に入社してきた逸材で、カタログやリーフレットの制作に大変な貢献をしてくれた。この本を読んでみて思うことは、20年前に書いてくれたら、私も変わっていたに違いないということである。
ソニー(株)取締役・クリエイティブ本部長 黒木靖夫」
親心を感じた。その黒木さんももう亡くなられた。
政治の世界に入って・・・師匠は酒井睦夫さん
私は今、流山市議会に無所属で出ている。市議会での私の師匠は酒井睦夫さん。同じ電機業界出身で、彼は松下、私はソニー。会社は違えど、黒木さんと酒井さんは非常に似ていると私は思っている。
日本がまだアメリカ、西欧を遠く仰ぎ見ていたあの高度成長期時代、柔軟に海外風土を取り入れ、かつ、果敢に戦い、日本を海外に進出せしめた「ものづくり企業」の雄姿を黒木さんにも酒井さんにも見ることができる。
酒井さんは企業感覚を生かし、無駄のない、少数精鋭の議会を目ざした。「半分でできないか」と議員定数削減を訴え、流山市議会に当選した。彼の公約は・・・残念ながら実現しなかった。何より、自分の考えを主張する機会がなかった。自分の希望とは裏腹に、「議員定数に関する特別委員会」の委員長に選任された。委員長は中立の立場にたち、自分の意見を主張できない。彼自身、悔いの残る経過だっただろう。
公約はともあれ、任期の数が幅をきかす政治の世界で、酒井さんが代表の会派は、先輩議員に追随する風土はなく、議員は議員、一人ひとりの考えを尊重する気風があった。
私は、会社時代も、政治の世界でも師匠に恵まれている。
元流山市議会議員 酒井睦夫さんのコメント
市議時代は楠山さんと同じ会派でした。地方議員は政党を名乗るべきではない、という考えです。4年前に議員を引退し、高齢者サポートのNPOの活動をしていますが、楠山さんは理事として、ここでも大活躍しています。「終末期の医療」をテーマに取り上げ、大きく展開しています。「男の料理教室」も定着していますが元はといえば彼女の提案です。柔軟な発想と大胆な行動力は市議の中でもトップクラスと断言できます。
日本がまだアメリカ、西欧を遠く仰ぎ見ていたあの高度成長期時代、柔軟に海外風土を取り入れ、かつ、果敢に戦い、日本を海外に進出せしめた「ものづくり企業」の雄姿を黒木さんにも酒井さんにも見ることができる。
酒井さんは企業感覚を生かし、無駄のない、少数精鋭の議会を目ざした。「半分でできないか」と議員定数削減を訴え、流山市議会に当選した。彼の公約は・・・残念ながら実現しなかった。何より、自分の考えを主張する機会がなかった。自分の希望とは裏腹に、「議員定数に関する特別委員会」の委員長に選任された。委員長は中立の立場にたち、自分の意見を主張できない。彼自身、悔いの残る経過だっただろう。
公約はともあれ、任期の数が幅をきかす政治の世界で、酒井さんが代表の会派は、先輩議員に追随する風土はなく、議員は議員、一人ひとりの考えを尊重する気風があった。
私は、会社時代も、政治の世界でも師匠に恵まれている。
元流山市議会議員 酒井睦夫さんのコメント
市議時代は楠山さんと同じ会派でした。地方議員は政党を名乗るべきではない、という考えです。4年前に議員を引退し、高齢者サポートのNPOの活動をしていますが、楠山さんは理事として、ここでも大活躍しています。「終末期の医療」をテーマに取り上げ、大きく展開しています。「男の料理教室」も定着していますが元はといえば彼女の提案です。柔軟な発想と大胆な行動力は市議の中でもトップクラスと断言できます。