なぜかちぐはぐな流山市の博物館行政!

流山市の博物館行政は昔から、なぜか、ちぐはぐである。
昔の例を出せば、野田市清水公園にある旧花野井家住宅。もとはといえば、流山の前ヶ崎城址付近にあった名家の花野井家の住宅だった。幕府直轄の小金牧の牧士を任された家柄である。花野井家は流山の歴史を伝えるその住宅を市に寄贈すると申し入れた。流山は維持費が大変と断り、野田市が受けて、清水公園に移築。今は国指定重要文化財(建造物)となっている。流山市に国指定重要文化財(建造物)はひとつもない。

また、東深井古墳群の調査では、珍しい魚形埴輪が発掘された。発掘された現物は野田市郷土博物館に展示されていて、流山市立博物館にあるのは複製である。

最近では、三本松古墳。紀元6世紀後半にできた前方後円墳である。TX沿線開発の区画整理事業のため、平成27年に取り壊しになった。不思議なのは、古墳にまつわる逸話を記した江戸時代の古塚碑が文化財に指定されているのに、紀元6世紀に造られた古墳そのものが文化財に指定されていなかった。理由は、昭和30年代に側面の土をとりすぎて県の急傾斜地危険区域に指定されたからというのだが、理由になっていない。

平成27年11月28日実施の三本松古墳の現地説明会には、わずか4時間の間に、474名の見学者が訪れ、12月19日の博物館主催「知の講座~市内最大の前方後円墳鰭ヶ崎三本松古墳に迫る~」の講演には希望者が部屋に入りきれず、お断りした方が多数いた。また、平成28年6月18日実施の2回目の現地説明会には504名が訪れた。いかに市民の関心が高いか、を表している。

「学芸員として古墳がなくなるのはどう思われますか」
とある学芸員の方にたずねると、
「一度取り壊すと二度と戻らないので残念ではありますが、発掘によって、これまで知らなかった古墳の解明ができる意義はありますね」
確かに。

それにしても、流山市はもっと自らの歴史を守るべきである。

TX沿線開発で、豊四季霊園付近の一帯が取り壊されそうになったとき、「野馬土手は流山市の歴史。なんとしても残すべきだ」と強く主張したのが市の職員ではなく、市外の開発業者だと聞いた。残念である!